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これが1万年続く聖地…!『縄文神社』著者と川崎のミステリアスな縄文神社を訪ねてみた。

これが1万年続く聖地…!『縄文神社』著者と川崎のミステリアスな縄文神社を訪ねてみた。

みなさんは縄文神社という言葉をご存知だろうか。これは『縄文神社 関東甲信篇』『縄文神社 首都圏篇』の著者、武藤郁子さんが作った「縄文遺跡と神社が重なっている場所」を意味する言葉。いわば、1万年以上、祈りの場として続いている最強の聖地を指す。

縄文神社 関東甲信篇
2023年12月に発売されたばかりの『縄文神社 関東甲信篇』。なんと明治神宮も縄文神社だった!?

縄文遺跡といえば、青森の三内丸山遺跡とか長野の諏訪など、東北、甲信越をまず思い浮かべてしまうが、武藤さんのリサーチによれば、実は圧倒的に多いのは関東地方。渋谷とか池袋といった大都会にも普通にあるのが縄文遺跡、あるいは縄文神社なのだ

そんなに身近な聖地なら一緒に参拝しましょう、ということで、贅沢にも武藤さんのガイドで首都圏の縄文神社へ行く機会に恵まれた。これはそのレポートである。おお…これが縄文神社か!という興奮をお伝えできると嬉しい。

⇒前作『縄文神社 首都圏篇』の際にインタビューした記事はこちら

■多摩丘陵でひときわ高い場所の聖地へ

今回私が行ってみたい!とリクエストしたのは、縄文遺跡が数多くあることでも知られる多摩丘陵にある長尾神社。この神社がある川崎市多摩区は、日本民家園、藤子・F・不二雄ミュージアム、岡本太郎美術館など多くの観光名所があり、なんとなく人を引き寄せるパワーがあるように感じたからだ。

長尾神社は多摩丘陵の中でも、最も標高の高い権現台に位置するので、足腰が弱い人なら登戸駅などからバスで行ったほうが良いのだが、武藤さんによれば「宿河原駅から30分ほど歩いて行って、多摩丘陵の登り下りを体感するのがおすすめです。長尾神社の良さはあの地帯を歩いてみてわかる良さなので」とのことなので、我々は宿河原駅からの徒歩コースで向かうことにする。

駅を出て長尾神社方面に少し歩くと、驚くほどの透明度の小川が見えてくる。二ヶ領用水といい、明治から大正にかけてはこの水で天然氷が作られ、東京方面に出荷されていたらしい。それぐらいきれいな水なのだ。

カモもいっぱい。桜並木があるので春は綺麗だろうな。

縄文神社は水との関係が深いらしいので、この清らかな水を前に、来たぞ来たぞ…と思いつつ先へ進む。

長尾の花めぐり
長尾神社への道はおすすめの散歩コースらしく、看板などもあった。

■丘の上にある絶景の縄文遺跡へ

ちょっとした低山登山なみの坂をえっちらおっちら登ると、最初に現れるのがふじやま遺跡公園(長尾台遺跡)である。縄文、弥生、古墳時代の竪穴(たてあな)住居跡が約30軒ほど発見された場所だが、現在は特に再現されておらず、見晴らしのいい公園になっている。

なお、武藤さんが定義する縄文神社が鎮座する典型的な「縄文ロケーション」は、

  1. 湧水がある山麓や台地崖下
  2. 見晴らしの良い台地
  3. 水辺に突き出した土地の先端
  4. 霊山の形が綺麗に見える丘陵や自然堤防の上
  5. 岬の先にある島や湖沼の中の島

とのことだが、この遺跡はまさに、に当てはまるな…と実感。

遠くに新宿や六本木が見える!夜はさぞかしきらびやかだろう。

何しろ、公園の片側は完全なる崖。
「最も海進が進んだ頃には、川崎市千年から宮内のあたりまで海が来ていたそうなので、右手には海が見えたことでしょう」(『縄文神社 関東甲信篇』P167)という武藤さんの文章を参考にしながら、縄文人が見た景色を思い浮かべる。の「水辺に突き出した土地の先端」とは言えないが、遠くに海を望む土地の先端ではあったのだろう。

よし、心がだんだん縄文人に寄り添ってきたぞ…!

■ 山のふもとにあるお寺を経て、高台の長尾神社へ

この遺跡から少し歩けば、長尾神社とも縁が深いという妙楽寺が見えてくる。

こぢんまりとしたお寺だが、文化財も豊富で、手入れされたお庭、掃き清められた境内がすがすがしい。紫陽花の名所でもある。その歴史は古く、源氏ゆかりのお寺として知られ、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の愛されキャラ(?)阿野全成が住職をしていた威光寺の旧跡とのこと。

なお、妙楽寺と長尾神社とは、つながっているといっていいほど近く、明治の廃仏毀釈まではほとんど一体だったのではないか…と感じるほどだ。

妙楽寺をお参りし、さらに坂道を少し登っていよいよ長尾神社へ。

長尾神社
着いたー!と思ったらまだ登る!

プチ登山の最終地点ともいえる神社は、さらに急勾配の石段を上がった先に鎮座する。何しろ、このあたりの最高丘陵(海抜約82m)にあるお社である。

鳥居の向こうには都会の絶景。

長尾神社の公式ホームページには、霊峰富士丹沢山塊など、関東一円の山々が一望できるとある。これは、縄文ロケーションその4「霊山の形が綺麗に見える」に当てはまるではないか! むっちゃ縄文神社だ!

「ここはもともと修験の人たちの道場だったみたいで、昔は水源があって、滝のような水場もあったかもしれませんね」と武藤さん。縄文ロケーションには水も大切な要素だが、今は神社の周囲は住宅地となっており近くに泉のようなものは見当たらない。崖の上という地形を考えると、おそらく以前は湧水があったのだろうが、枯れてしまったか、開発時に埋められたのか……そこは想像するしかない。

ご挨拶をする武藤さん

長尾神社は、明治以前は五所権現社という名の修験道のお社だったという。なぜ「五所」かというと、五柱の神仏を祀っていたからだそう。この5という数字は、このあとに知ることになる、神秘的すぎるこの土地の歴史のキーワードでもある。

神社の裏手の林では、猫たちが楽しそうに走り回っていた。のんびりとした空気と、木々を揺らすやわらかな風が心地よい。

「このおだやかな感じ、流れる空気のよさが縄文神社の特徴なんですよね」と武藤さんがニコニコしながら言う。きっと縄文人たちも、同じようにこの場所を気持ち良いと感じていたことだろう。

猫に話しかける武藤さんと、ツンデレちゃん

■五所塚から長尾神社へ、ミルフィーユのように重なるミステリアスな歴史

さて長尾神社を訪れたなら見逃せないポイントがある。権現台遺跡という縄文時代中期から後期の集落跡がある平坦な台地部分に、長尾神社とともに並んでいる五所塚第一公園

この五所塚第一公園が、なんとも言えない不思議スポットなのだ

どうがんばっても、写真ではそのミステリアスさをお伝えできないので、ぜひ現地に足を運んでほしいのだが、要するに、土をまんまるに盛った「塚」が、ぽんぽんぽん、とほぼ等間隔に5つ並んでいるのである。正直、それまでにみたことがないユニークなルックス。しかもその塚はよほど神聖なものなのか、がっちりと柵でガードされており立ち入ることはできない。

「五所塚は、直径四メートル・高さ二メートル前後の五つの塚が南北に並んでいることから、地元では古くから、こう呼ばれてきました。外観は古墳時代の円墳(えんぷん)に似ていますが、実際は、中・近世に村境や尾根筋に築かれた十三塚などと同様の、民俗信仰に基づく塚であると考えられています。」と、川崎市教育委員会による掲示にある。

「なんの根拠もないんですが…」と断った上で、武藤さんが話す。

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シーバスのタリオリーニ。

「私の想像では、密教の修法の中でも大がかりな五壇法みたいなことをやった跡ではないかと思います。五箇所の塚の前に壇を築いて修法を行った可能性もあるんじゃないでしょうか」

五壇法とは、不動明王を中心に、降三世明王、大威徳明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王の五大明王それぞれに壇を築き、5人の行者が各座にて息災などを祈願する、かなり強力な密教の修法

神社について語り合う武藤さんと『狛犬さんぽ』著者のミノシマタカコさん。塚が結構大きいのがおわかりいただけるだろうか。

ちなみに、川崎市教育委員会が言う十三塚とは、Wikipediaによれば、13基の塚(マウンド)から構成される土木建造物。「十三塚は中世の遺構なんですが、こういう形は本当に珍しいんですよ」と武藤さん。確かに十三塚で画像検索を試みても、こんな妙な(?)ルックスのものは見当たらない。こんなにミステリアスなのに、ほぼ猫と近所の子どもの遊び場でしかないなんて! 『ムー』編集部あたりでぜひ謎を解明してほしい。

そして、さらに私が衝撃を受けたのが、このあたりで五角形という特異な形状の縄文中期の竪穴住居跡と祭祀跡が発見されたと同じ掲示に書かれていたこと。

五角形の竪穴式住居があった場所に、つの塚が築かれ、その隣に五柱の神仏を祀る社が作られた…だと?

五角形の竪穴式住居は縄文中期(5000~4000年前)のものなので、五所塚が作られた中世には地中深くに埋れており、人々はその存在を知らなかったはずだ。
なのにそこに5つの塚を作るなんて、その符号は一体何? 超能力!? 教えて『ムー』編集部ーー!

「縄文神社の一つの仮説は、人が聖なる場所に選ぶ基準は意外と変わっていない、ということ。今の私たちは、発掘調査などからここに縄文時代の祭祀跡があったことはわかっています。でも、そんなことを知らなかったはずの中世や近世の人たちも「聖なるものを作るならここだ」と思った。やはり誰もが祈りたくなる場所は不変だからなのだと思います」と、武藤さん。

五所塚から長尾神社方面を望む。遠くに見える高い木が神社のもの。同じ高さの平坦な台地上に5に関係する2つの祈りの場が連なる。

縄文時代の祭祀跡、中世の祈りの場、鎌倉幕府から重要視された天台宗の寺院、そして修験の道場でもあったという長尾神社。いくつもの異なる時代と、異なる祈りの形がミルフィーユのように重なり合うこの土地の不思議。

時代は移れど、変わらない何かを軸に私たちは昔の人たちとしっかり繋がっているのだ…そんな実感に心震えた縄文神社なのだった。縄文神社巡拝、くせになりそうに良い…!

長尾神社界隈は閑静な住宅街でコンビニなどは見当たらないので、散歩のときは必ず水を持参しよう。

【取材協力】
武藤郁子(むとういくこ)さん

埼玉県生まれ。立教大学社会学部卒業後、出版社に入社、単行本編集に携わる。独立後、ベストセラー作家の時代・歴史小説やエッセイなどの編集に携わるかたわら、文化系アウトドアライターを名乗り、本質的な美や「場」に残された古い記憶を探し求める旅を続けている。webサイト「ありをりある.com」と「縄文神社.jp」を運営。近著に『縄文神社 関東甲信篇』(双葉社)、著書に『縄文神社 首都圏篇』(飛鳥新社)、共著に『今を生きるための密教』(天夢人刊)がある。
現在、密教に関する著書を執筆中。
ありをりある.com  https://ariworiaru.com/
縄文神社.jp  https://jomonjinja.jp/

■長尾神社 https://nagaojinjya.com/

<関連リンク>
『縄文神社』著者・武藤郁子さんに聞いた、縄文時代×神社=縄文神社の魅力 とは?

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