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ユネスコ世界記憶遺産に? 静岡市興津の清見寺の魅力を徹底紹介!

更新:2017年11月02日
みきP

素晴らしいのに意外と空いてる穴場シリーズ。静岡市の興津駅近くにある1300年の歴史を誇る清見寺。2017年にユネスコ世界記憶遺産登録を目指す、今ならまだ空いてるおすすめの史跡です。いまこそ訪れたい平和へのメッセージも詰まった、美しい建築や庭園も見どころの禅寺を、たっぷりの写真でどこよりも詳しくレポートします。

2013年、富士山世界文化遺産の構成資産に登録されたことで一躍注目された「三保の松原」。かつてその松原を眼下に一望し、徳川家康や秀忠などの将軍をはじめ、江戸時代には海外からの使節団も魅了した絶景のお寺が静岡市の興津にあるのをご存知でしょうか?

それは東海道屈指の名刹、1300年の歴史を誇る「清見寺(せいけんじ)」。夏目漱石や与謝野晶子、島崎藤村などの文化人にも愛された高台にある眺めの良い臨済宗妙心寺派の禅寺です。今は訪れる人もそれほどではない静かなお寺ですが、実はここ、今後混雑するかもしれない「今のうちに訪れておくべき」穴場なのです。

日本と朝鮮の交流の場、「平和への願い」を今に伝える徳川家ゆかりの禅寺

応仁の乱から約100年間も続いた戦国時代を終わらせ、のちに「パクス・トクガワーナ」と呼ばれることになる約260年もの平和な時代を築いた徳川家康。彼の功績のひとつに、豊臣秀吉が強行した朝鮮征伐でこじれた日朝関係の修復がありました。その重要な舞台となったのが、ここ清見寺です。

秀吉亡き後、朝鮮との外交において平和友好路線を掲げた家康は、政権を担うや、すぐさま朝鮮の捕虜約1400人を帰国させ、1607年には約500人の朝鮮通信使一行を江戸と駿府に迎え、両国の友好通商条約を結びます。その後、幕末に至るまで朝鮮通信使は12回も来日し、両国の間の文化交流にも貢献。そんな通信使たちを迎え休憩や宿舎に使われたのが、三保の松原を望む高台にある風光明媚な清見寺なのです。

その交流の歴史を今に伝えるのがこれら扁額。当時最高の知識人であった朝鮮通信使たちが訪問した際は住職たちと漢詩のやりとりをすることもしばしばだったそう。それらの詩文は木に彫り写され扁額となって清見寺の大方丈に飾られ、訪れる人の知的好奇心を満たしてきました。これらは、他都道府県に残る外交文書、絵巻などとともに、二カ国間の平和的・知的遺産として2016年、韓国と共同でユネスコ世界記憶遺産登録に申請され、2017年の承認を目指しています。承認されれば、今はまだ静かなこのお寺もずっと多くの人で賑わうことになるでしょう。


清見寺が迎えていたのは朝鮮通信使だけではありません。大方丈の正面に大きく掲げられているのは琉球王子筆の「永世孝享」の扁額。その両脇に朝鮮通信使の詩文が掲げられています。1610年、琉球王子が琉球王とともに江戸に赴く途中の駿府城で病死してしまい、そのお墓がこのお寺に残されているのです。


扁額等の見どころがいっぱいの大方丈は1825年に改築されたもの。禅寺ならではのきりりとした美しい建築ですね。

歴史だけじゃない、日本庭園や建築、絵画、仏像等見どころがたくさん

「朝鮮通信使ゆかりのお寺」という面が記憶遺産関連でクローズアップされていますが、清見寺の魅力は日朝交流の歴史だけではありません。ここはなんといっても1300年の歴史を持つ古刹。室町時代は足利尊氏がこの寺を官寺と定め保護し、のちに今川家にも守られた由緒あるお寺です。そんな雅な一面とは別に、海と山に囲まれた自然の要害でもあり交通の要衝でもあったことから、戦乱時には大名たちの争奪の場になったという歴史もあり、境内にはそんな数奇な歴史の痕跡が多数残っています。建築や庭園もすばらしいので、ぜひゆっくり鑑賞してみましょう。



武将たちの戦乱に使われた歴史を今に伝えるのが、こちらの鐘楼。梵鐘(ぼんしょう)はなんと1314年に鋳造されたもので、1590年の小田原征伐の時には、豊臣秀吉により命令等を送るための陣鐘として使うために持ち出されたのだとか。本当に戦乱の世のお寺も大変です……。

こちらは大方丈に面した国指定文化財の名勝庭園。徳川家康手植えの柏樹、家康の命により配置された牛石等が残り、その美しさは朝鮮通信使も絶賛したとか。


こちらは、家康が接木したと伝えられる臥龍梅(がりょうばい)。なぜこんなに家康ゆかりのものが多いかというと、今川家の人質時代、教育を受けるため幼い家康はこのお寺に暮らしたのです。そのことから正月には徳川将軍家に献上されたという名木で、朝鮮通信使の日記にも記載されています。


大方丈の中にある家康手習いの間。戦国時代に武将たちによる奪い合いや陣が敷かれたりしたことからすっかり荒れ果ててしまったこの寺を復興させたのが、今川義元の後援を受けた 太原雪斎(たいげんせっさい)。彼は幼少時の家康の師でもあったと伝えられている大河ドラマ等でもおなじみのキャラクターですね。


清見寺は天皇もお祀りしていて、天武天皇の位牌もあります。狩野派の絵師による屏風も見事なこちらの玉座には明治天皇もお座りになられたとか。

そして、個人的に「うわー、かっこいい!」と思ったのが、こちらの書院の欄間。


欄間にはめ込まれているのは、なんと「関所のはめ板」。直線が作り出す和室ならではのシンプルな美を、素朴でのびのびとしたはめ板のフォルムがいい意味で崩しています。お寺のガイドの方によると、海外からの観光客も「こんなデザイン見たことがない、クール!」と絶賛されるインテリアなのだそう。

なぜ関所かというと、実はこのお寺、約1300年程前の天武天皇朝の頃に関所が設けられ、それを鎮護する仏堂が建立されたことに始まっているのです。その後も寺の門前の東海道には関所「清見ヶ関」が残り、1860年、お寺が建て替えられる時に貴重な痕跡を残そうと欄間に取り入れられたそう。大切な思い出をさりげなく残してリフォームするなんて、なんだか「劇的ビフォーアフター」みたい!


こちらの山門には、日光東照宮の眠り猫などで有名な伝説的な彫刻職人、左甚五郎の弟子による彫刻が残されています。静岡市指定文化財。本当にあちこち見逃せなくて困ります。


自然傾斜地を背にした巨大な仏殿は1844年に再建されたもの。僧侶が修行をするための建物で、本尊や位牌、足利尊氏の木像などが納められています。

仏殿の横にずらりと並ぶ五百羅漢像は18世紀末に彫られたと伝わるもの。島崎藤村の小説にも登場しています。


こちらの唐破風造りの大玄関は、なんと400年も前の1616年築。家康の三女静照院殿の寄進により建てられ、天井板は梶原景時の血天井と伝わります。


明治維新の記憶も刻まれています。お寺の近くの清水港で勃発した咸臨丸と官軍との戦闘での戦死者を忘れないよう、榎本武揚により建てられた咸臨丸受難碑。
2017年は大政奉還から150年という節目の年。こうした幕末の記憶もいまいちど反芻されることも増えるでしょう。


こちらは明治以降に建てられたという眺めの良い潮音閣。かつては目の前まで海が迫っており、三保の松原を眼科に一望する絶景が自慢でした。50年ほど前から埋め立てが始まり、港湾施設などがぞくぞく建てられたため、かつての絶景は脳内CGで再現するしかなさそうです。「清見がた波ものどかにはるる日は 関より近き三保の松原」(兼好法師)ほか、豊臣秀吉や武田信玄、北原白秋や与謝野晶子が歌に読んだ絶景、さぞかし美しかったのでしょうね。

お気づきでしょうか。なんとこの1300年の歴史を誇るお寺の前に線路があります。JR東海道線が走っているのはれっきとした清見寺の参道の一部。これほどの歴史的価値のあるお寺に電車を走らせるなんて、現代なら文化財保護の観点から大反対されることでしょう。明治22年(1889年)に敷かれたという線路を眺めていると、戊辰戦争で敗者となった徳川家に守られたお寺ならではの悲哀を感じます。昭和になっても日本橋の上に高速道路作っちゃうような文化財への感覚、もうそろそろ変えてくれないかなぁ…一度壊すと元に戻らないんだから…ぶつぶつ。

しかし、総門から山門への間を鉄道が走り、陸橋を歩いてお参りするお寺というのもちょっとめずらしいと今はポジティブに捉えましょう。確かに珍しい風景なので、電車に乗るときはぜひ車窓から数奇な運命をたどったお寺を見上げてみましょう。


徳川ゆかりのお寺ならでは、葵の御紋探しも楽しもう

家紋好きなら(?)葵の御紋探しも楽しいかもしれません。家康の幼少時の思い出の地であり、朝鮮との国交において徳川幕府の重要な拠点となった清見寺は、江戸時代260年の間、三葉葵の紋を許され二百余石の朱印地を持っていました。
静岡浅間神社の記事でも熱弁しましたが、静岡市は江戸時代、一流職人たちが集められた匠の都。建具や瓦などいちいち手が混んでいるのでぜひ鑑賞してみましょう。




なんだかずっと平和が続くか心配になるニュースが増えてきた昨今。今よりもずっと混迷を極めていた戦乱の世に生まれ、300年先を見据えたビジョンと強い意志で太平の世を築いた徳川家康。アメリカのコラムニスト、マイケル・アームストロングは、「アメリカ人のみた徳川家康」(日新報道出版部刊)の中で「世界的視野で眺めても、家康に比肩(ひけん)しうる国際的リーダーは見当たらないとまで評価した。この点家康の業績について考えると、彼の功績は今日のノーベル平和賞を超えると評価した。」そうです(出典:「大御所四百年記念 家康公を学ぶ」)。朝鮮通信史との交流の舞台となった清見寺で、どうか家康が願った戦争のない平和な世の中がずっと続きますようにとお祈りするのも、こんな時代だからこそ必要なのかもしれません。(みきP)

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