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【南紀白浜】1600周年の「闘鶏神社」で勝ち運祈願! 源平合戦、神さま大集合、梅干しの神…この世界遺産が大好き。

【南紀白浜】1600周年の「闘鶏神社」で勝ち運祈願! 源平合戦、神さま大集合、梅干しの神…この世界遺産が大好き。

風光明媚な和歌山・田辺にあって、“勝ち運”をいただけることで有名な世界遺産「闘鶏(とうけい)神社」。なんと、今年はちょうど創建1600年。源平の合戦にまつわるエピソードを訪ね、神さまのテラスハウス(!?)にお参りし、梅干し神にもご挨拶。楽しい境内をご案内します。

大ヒットコミック『キングダム』の実写化が決まり、adidasからは海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のスターク家、ターガリエン家などをイメージした6種類のスニーカーが登場(呪われそうだけど欲しい!)、アニメ『幼女戦記』は劇場版が上映中だし、ワクワクしどおしの春です。やっぱり戦記は手に汗にぎって楽しいですね。

ところで日本が誇る戦記といえば、やっぱり『平家物語』でしょうか。

源平の合戦が起きたのは平安時代の末期、1177年から1185年にかけてのこと。日本全国で戦が勃発し、陸の戦いから海戦へともつれこんで、最後は壇ノ浦で勝敗を決しました。

ここ、和歌山・JR紀伊田辺駅からほど近い「闘鶏神社」(正しい表記は鬪雞)にも、源平合戦にまつわる面白いエピソードが伝わっています。

突然ですが、ここでクイズを。さてさて、闘鶏神社の境内にいらっしゃるこのお二人、どなたさまでしょうか?(ヒント:左の強そうな僧兵さんは”チーム源氏”で義経とともに生きた、あの人です)

正解は……弁慶さん(左)とそのお父上・湛増(たんぞう)さん。なんと、弁慶さんのお父さまは和歌山にいたんですね。しかもお仕事は別当(べっとう)職。つまり僧侶であり、軍隊(熊野水軍)と政治を司るトップだったそう。

私は弁慶さんって夜な夜な橋の上に出没してはカツアゲにいそしむヤンキーだとばかり……実はとんでもないサラブレッドでしたのよ。失礼しました。

この地に伝わるエピソードによれば、弁慶さんは奉公に出された先の寺を3つ連続で破壊し、3つ目でさすがに反省。寺の再建のための金具を求めて、京都・五条の橋の上で刀狩りをしたといいます。そこで義経と出会い、激動の世を駆け抜けることにーー。

さて、一方。強大な熊野水軍を率いるお父上・湛増さんです。源平の争いがキナくさくなるにつれて、朝な夕なに平氏からも源氏からも援軍を頼む使いがひっきりなし。息子の弁慶がチーム源氏だからといって「んー、じゃあ源氏で!」とは言えない、田辺の命運を背負ったお立場です。

悩みに悩んだ結果、ニワトリを集めました。

ご乱心? いいえ、これはご神託を得るためのもの。竹の枠を組んで、白(源氏)と赤(平氏)のニワトリを7番勝負で戦わせたのです。当時の様子を書き残した書物によれば、結果は、「白ことごとく勝つ」。ほかの一書には「赤ことごとく逃げる」とも。

こうして湛増さんは、源氏に味方することを決意。最強の熊野水軍、200曹の軍船に1000人の兵僧が乗り込み、壇ノ浦へ漕ぎだしました。結果は、源氏の大勝利。熊野水軍は凱旋し、田辺の町は大いに潤ったといいます。

でも、7番勝負って、ちょっと多くないですか。ご神託なら3番勝負くらいでよかったんじゃないかな、なんて。7という数の多さに湛増さんの心労と苦悩、緊張を感じます。

また、ことごとく白組のニワトリが全勝という、未練も何も残さぬ勝ち方。本心は息子に味方したいお父ちゃんが、陰で白組のニワトリに倍くらいエサをあげている図がまぶたに浮かんでしまいました。

■ 闘鶏神社は熊野本宮大社の精密コピー!?

さて、この「闘鶏神社」は419年に熊野本宮大社から御霊分けをうけて、今年は創建1600年の節目。聖徳太子が生まれたのが574年とされているから、それより古いのですね。関西を旅すると、このレベルの古さをケロっと出してくるからコワい! 楽しい! 

2016年にはめでたく世界遺産に登録され、観光客がぐーんと増えました。

社(やしろ)は、本宮大社と同じ配置。上四社、中四社、下四社の「熊野十二社権現(ごんげん)」をお祀りしています。 ご利益がとっても多いとされることから、熊野“大”権現とよばれることも。

面白いのは、この「闘鶏神社」が「熊野本宮大社」の精密なコピーであること。そのため、熊野詣が困難な人々は、ここに参拝することで三山参詣に代えたとも伝わっています。ふふ。なんだろうな。寺社仏閣は、それアリなん?って言いたくなるようなマジカルな仕組みに出会えることがあります。そこがいい!

■ 神様のテラスハウスにお参り!

ちなみに、全貌をマッチ棒で作られたミニチュアで見てみましょう。マッチ棒、良い仕事してる。

タテ向きとヨコ向きの社(やしろ)が混在しながら一列に並ぶ珍しい配置です。日本中にひとつも例がない様式だったため、熊野造りという名前がつきました。ここで、お祀りされている神さまをご紹介しましょうか。もう、すごいの。すごいのよ。

【本殿】伊邪那美命(主祭神)

  • 【上殿】天照皇大神・伊邪那岐命・宇賀御魂命
  • 【西殿】速玉之男命・事解之男命
  • 【中殿】鵜草葺不合命・火々出見命・邇々杵命・天乃忍穂耳命
  • 【下殿】稚産霊命・弥都波能売命・埴山比売命・火産霊命
  • 【八百万殿】手力男命・八百萬神

もう多い。すんごい多い。完全に、熊野ダヨ!全員集合♪ ちゃんと“八百万の神”もお祀りしているので、本当に全員集合なのです。

一つ屋根の下に数柱の神さまって、なんだか神様のテラスハウスみたい。となると、ちょっと八百万殿が気になるというか、満員電車並みに混んじゃってそうなんですけど、でも、境内に満ちる気持ちいい空気を思えば、きっとゴキゲンにお過ごしなのです。ハッピー。

ほかにも神様の社があります。たとえば……

●弁天神社(市杵島姫命:いちきしまひめのみこと)

立身出世・音楽・芸術・学問弁才・開運・財福・福徳の神

●戎大黒神社(戎大黒二神:えびすだいこくにしん)

海上・漁業・商売繁盛・招福・金運・台所の神

●玉置神社(手置帆負命:たおきほおいのみこと)

建築・造船・大工の守護神・海上安全・大漁満足の神

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社務所の中も面白いのだ!

社務所の中で、源義経の笛を見つけました。義経は笛が好きだなぁ。

そういえば、愛知・瀬戸を旅したときも「義経さまから笛を賜った」という姫のエピソードを聞いたことがありました。 義経って通ったところに笛がポツポツあってヘンゼルとグレーテル状態(落とすそばから持ってかれてるところまで似てる…)。ほかにも、歴史的な遺物が展示されています。

■ 梅干しの神さまにこんにちは

なにごとも、始まりがあるものです。紀州といえば梅干しですが、その祖となるのが、400年前に生きた紀伊田辺藩の初代藩主・安藤直次さん。

田辺の町に産業がなかったことから、安藤の殿が梅の栽培を奨励。そうして南紀が梅の特産地になったといいます。優秀な殿です(ホロリ)。

闘鶏神社の中にある「藤巖神社(とうがんじんじゃ)」には、この安藤氏が祀られています。この梅干し神のおかげで、私たちは今日もおいしい紀州梅をほおばれるのですね。感謝、感謝。

■ 期待されすぎ!? 1200歳の御神木

境内にあるこの大楠は1200歳。ものすごい長老です。が、逸話に曰く、ここに人が住み着いたことがあって、中で不審火が出たんだとか。その時、このクスノキは自力で水をだし、消化したのだと。自力で。まさかの御神木が酷なワンオペ。

ちなみに、この大楠の葉っぱを歯の痛いところに当てて噛むと歯痛に効く、との信仰も。って、本来楠にそんな機能はないねん(たぶん)。人々のあつすぎる期待を背負い、ときには応えてきた立派な長老。ずっとずっと元気でいてください。

面白すぎて1時間くらいあっという間に過ぎてしまった「闘鶏神社」の旅。すっかり忘れていましたが、この神社のご利益は、平家を下したことから始まる1600年ごしの練りに練られた「勝ち運」なのです。はぁ、笑い疲れて、勝ち運までいただいて、もう勝ったも同然(?)の旅路です。

■ ご近所にある面白スポット

ちなみに、闘鶏神社の社殿の後ろにそびえるのは、南方熊楠(みなかたくまぐす)さんが熊野の植物を研究するときの拠点とした森。じつは闘鶏神社の宮司の娘さんが熊楠に嫁いでいます。ご近所には「南方熊楠顕彰館」がありますよ。

また、この紀伊田辺からは、熊野古道への道が伸びています。闘鶏神社のすぐ近くの「街なかポケットパーク」にはナビ情報が揃っています。レンタサイクルもありますよ。ぜひ立ち寄ってみてくださいね。

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